過去は「今」への伏線である
過去が「今」の伏線であるならば
あなたはその過去を憂い嘆くでしょうか。
私がバレーボールに打ち込み
練習に明け暮れていた高校生の頃
スキルとともに叩き込まれたのは
その一球に”魂をこめろ”
でした。
どれだけスキルが高かろうが
そこに”想いをのせなければ息は合わず”
逆に不器用でも想いをのせたボールは
“つながる”のだと教えてくれた恩師がいます。
あの時の練習が
あの時の経験が
まさかこんなところで
こんな形で
大いに役立ち
生きてくるとは。
あの頃はただ
目指した全国大会には行けず
勝負の厳しさ
苦難の壁に
悔し涙を流しました。
こんなに毎日それだけを想って
厳しくしんどい練習の毎日を経ても
神様は叶えてはくれないのかと
ひどく落ち込んだものです。
あなたにもそんな過去がありましたか?
それとも今そんな状況でしょうか?
それでも無駄なことは一つもなく、
”魂をこめろ”と教え込まれた
あの経験は
理論やスキルだけではいけない
人の想いを込めることで力が宿る
治療をする上で
必要なものでした。
今、ここへくるために
必要なことを学ぶための時間だったと
ハッキリとわかります。
そしてそれは、「今」も同じこと。
今試行錯誤していること
うまくいかないと思っていることも
あなたが一歩ずつ進めば
わかる必要のあるものは
タイミングがきた時わかるものです。
その「今」なのです。
結果だけを取り急ぐより
その過程を味わっていく。
愛でていく。
一つ一つの「今」が
あなたの色をつくっていきますね。
プロセス自体に
光を当てていくということは
そのままあなたの人生に
光が当たるということですよ。
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